事実は小説より奇なり・・・
2014-01-27


先日、初めて泊まった和倉温泉の宿・・

何処にしようかと、ピンときた宿に!
ファシリティーや景観、お部屋の雰囲気など
特にお宿の歴史を見てはいなかったのです。

とても温かいおもてなしと何よりも得も言われぬ景色に圧倒されっぱなしのお宿でした。

そして、昨晩、改めてお宿の詳細を見ていると・・・

歴史があるのも鍋島家の長女さんが女将であったことも知っていましたが・・
とても素敵なラブストーリーがあったのです〓

それは明治時代に遡りますが、お宿の跡取りである喜教が地元七尾高校を主席で卒業した後、東京の大学に進学します。
自動車免許を取得するために、教習場で運命的な出逢い。
既に実家の経営が思わしくなく、貧乏学生になっていたのですが、ご縁があって鍋島直虎の運転士となります。
直虎を貴族会館まで送った合間に長女・好子を学習院まで送ることが日課となっていました。
それが切っ掛けでいつの間にか2人は恋に落ちたようです。

身分違いの禁断の愛、駆け落ち、別れ、再会・・・

2人の愛のキューピッドになったのは日本のテレビ放送の父と言われた正力松太郎。

詳しいストーリーはこちらから

[URL]

実は私の父のご先祖さまにも同じような話がありました。
既に韓国ドラマでも放映されたことがありますが、
その昔、両班(貴族階級)と賤民との身分違いの結婚や恋愛は極刑だったのです。

医学を目指す男性を慕って両班のご先祖様は彼と駆け落ちをするのです。
その時代は本当に大変だったと思います。

後に彼は主席で科検に合格して(昔は科検さえ受けられなかったのですが)、苦労の末、王様直属の医師になるのでした。
その後も、その地位に胡座をかくことなく、医学のさらなる進歩を飽くなき追究し、多くの資料を作成し、後世に遺していった偉人でもあります。

貧しい生活を強いられながらも尽くしたご先祖まさに感服するばかりです。
歴史的に見ると両班は平民を搾取してきた事実もあるでしょうが、政に拘わらずに尽力してきた両班もいたことを理解して欲しいですね。

しかし、今の時代より過酷であったにも拘わらず目的を成し遂げられたのはやはり強い愛があり、貫いたからだと改めて感動します〓

ちなみにドラマ上では別の姓になっていますが、資料館にはきちんとご先祖さまの名前に!

次回、多田屋さんの景色を見るときには美しい強い愛の物語を思い浮かべながら耽ってみたいですね(*^_^*)

禺画像]


禺画像]


[旅]
[美容]
[健康]

コメント(全0件)


記事を書く
powered by ASAHIネット